アイスクリームにあらず、「アイスクリン」
高知はそのアイスクリンが名物らしい。
そのアイスクリンがなぜか広島の団地の地産地消の八百屋さんで売っていた。
それにしても、1×1=1とは変わったネーミング
シャーベット状であっさりして後口がgood

団地のセブンイレブンの隣にあるこの八百屋さん、
週末にふら〜と立ち寄っては何か買って帰る。


アイスクリームを日本で最初に味わったのは、勝海舟や福沢諭吉らで、渡米視察(万延元年:1860年)の際にワシントン政府の迎えを受け、船上にてアイスクリームを口にしました。
「珍しき物有り 氷をいろいろに染め、物の形を作りこれを出す これを(あいすくりん)という」と、その帰朝報告書に記されています。その後明治2年横浜馬車道通りで町田房蔵という人が、あいすくりんとして製造販売したのが、日本で最初のアイスクリームといわれています。
やがて全国的に広がって、高知では大正10年高知アイスクリーム商工業協同組合を設立し、その当時は130人の組合員が県内各地へアイスクリンの名称で行商をしていましたが、戦後の物不足やあまり金儲けにならないこともあって、昭和30年ごろには20人でのどかにアイスクリンを売っていました。
変化がおきたのは自動車の普及で、道路脇にパラソルを開いたアイスクリンやさんが急増し、県内に100本以上のパラソルの花が咲きました。このため組合では卸売りもはじめ、1×1=1のアイスクリンの名称でお客様にかわいがられて、今までなんとか頑張ってきております。
その間、アイスクリンの名称が珍しい、1×1=1が珍しい、アイスクリンの商売人が多いということでマスコミに取り上げられ、高知の気候風土にも合い、高知名物アイスクリンとして皆様に親しまれています。』
高知アイスクリーム商工業(協)のサイトから引用


